<< June 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 労働時間短縮 | main | セビリア(セビージャ)VSレアルマドリード予想 >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

スポンサードリンク * - * * - * -

労働時間短縮

多くの人が自分に合った働き方(ここでは時間的側面に限る)があるはずなのに、
全ては企業側、社会側の都合に合わせ無ければならない。
適応しないものは”ニート”であり”主婦”であり、”生活保護受給者”であり
”精神障害者”であり、”年金受給者”であり、”社会的入院者”となる。
例えば、仕事と生活の両立が出来ないから主婦にならざるを得ない人を
主婦と呼ぶのは正しいのだろうか。
社会側に主婦にさせられた、社会的被主婦者ではないのだろうか。

「もったいない」の精神を説けば
働きたい人が働きたいだけ働ける仕組み作りは、国全体の経済、やる気の向上になるはずだ。

こんな言葉がある、世の中の仕事は3種類だ。
それは
「命令する仕事」(管理職など)
「実行する仕事」(請負労働者など)
「創造する仕事」(作家など)

しかし、全ての人は労働者である前に生活者であり、
さらにその前に人間だ。
豊かさとは、この人間の部分に対して当てはまるもので無ければならないのではないだろうか。

その為には、職場と家の往復だけの生活では無論足りず、
消費や娯楽や趣味や社会貢献など様々な行為を行う
自己実現の時間と資金が必要だ。

働きすぎず、貧しすぎず、自分が自分でいられた時間の量。
それは疲れを取る為に休息する時間は入らないし、生活の為に必要な時間も入らない。
貧しすぎて時間はあるが何も出来ない状態も入らない。

自分がしたいことを出来る状態でいられる時間の事だ。
その為には、仕事はできるだけ短いほうがいいし、
逆に仕事が生きがいの人は仕事がし続けられるほうが良いだろう
それを何故ひとつの形に全員が合わせなければならないのだろう。

例えば、「同僚が仕事をずる休みするから負担が増える」と怒りたくなる時があるが
それはその労働者のせいなのだろうか。
もしより柔軟な雇用制度があり、例えば週に1日少ない雇用契約で働けたら、
その労働者はずる休みをしないかも知れない。
そう考えると、一つの雇用形態を押し付ける
社会の方にに怒りを向けるべきではないのか。
「隠された悪を見抜く」ことは困難だが、
自分の価値観がどれだけの真実を反映しているか自問自答し疑う事ぐらいは
忘れない方が良いとおもう。

僕は今20代だが、日本の背骨をになっている世代は、仕事だけをして
死んで行っているように見える。
本当に、自分でいられた時間をどれだけ持っているのだろう。
そんな時間を持つ豊かさを知りもせずに老いて死んでいくのだろうか。
ほーい * 世界(投資以外) * 00:13 * comments(0) * trackbacks(0)

スポンサーサイト

スポンサードリンク * - * 00:13 * - * -

コメント

コメントする









トラックバック

このページの先頭へ